苦痛と拷問の時間は、
約6年、続きました。
3か月に1回のペースで目白に連れていかれ
午前に20分間、午後にまた20分間、電気を流され
最後に「石原表」で効果測定を繰り返すこと約2年。
小学3年になると、そのクリニックが新大阪にも出来て
月1回のペースに。そのペースが中学1年まで都合6年続いたのです。
小学5年からは、京都から新大阪まで約1時間、1人で行っていまいた。
小学3年にもなると、知識がつき、両親の想いや感情を
うっすらと理解できるようになっていました。
・小学4年と中学1年時にもまた色覚検査がある。
・両親はそこに照準を合わせ、私の色覚異常を治してあげたい
・色覚異常で差別やいじめを私が受けるのを避けたい
・将来の選択肢が狭くなり申し訳ない。
同時にもちろん保険適用外の高額な費用を、
私の目を盗んで隠れて払ってくれていましたが、
他の人が払っている場面を何回も見ていたので
その費用も相当なものだと分かりだし
毎回、毎回、両親になんだか申し訳なく思い
そのクリニックに行くのが憂鬱で
沈む自分がいたことも覚えています。
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