色がわからない 第4話

エネルギー

苦痛と拷問の時間は、

約6年、続きました。

3か月に1回のペースで目白に連れていかれ

午前に20分間、午後にまた20分間、電気を流され

最後に「石原表」で効果測定を繰り返すこと約2年。

小学3年になると、そのクリニックが新大阪にも出来て

月1回のペースに。そのペースが中学1年まで都合6年続いたのです。

小学5年からは、京都から新大阪まで約1時間、1人で行っていまいた。

小学3年にもなると、知識がつき、両親の想いや感情を

うっすらと理解できるようになっていました。

・小学4年と中学1年時にもまた色覚検査がある。

・両親はそこに照準を合わせ、私の色覚異常を治してあげたい

・色覚異常で差別やいじめを私が受けるのを避けたい

・将来の選択肢が狭くなり申し訳ない。

同時にもちろん保険適用外の高額な費用を、

私の目を盗んで隠れて払ってくれていましたが、

他の人が払っている場面を何回も見ていたので

その費用も相当なものだと分かりだし

毎回、毎回、両親になんだか申し訳なく思い

そのクリニックに行くのが憂鬱で

沈む自分がいたことも覚えています。

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